東京地方裁判所 昭和62年(ワ)15905号 判決 1992年2月17日
原告(亡小林夫美子訴訟承継人兼本人)
小林克彦
原告(亡小林夫美子訴訟承継人兼本人)
小林襄治
右両名訴訟代理人弁護士
新明一郎
同
山森克史
同
大塚章男
同
浅井和子
同
高野一郎
同
菅野正二朗
右訴訟復代理人弁護士
山本隆司
被告
医療法人社団陽和会
右代表者理事長
高野睦
被告
中島春雄
右両名訴訟代理人弁護士
鈴木俊光
右訴訟復代理人弁護士
椎名啓一
主文
原告らの請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告らの負担とする。
事実及び理由
第一原告らの請求の趣旨
一被告らは、原告小林克彦に対し、連帯して、金二八五六万〇五〇〇円及びこれに対する昭和六一年六月二一日から右支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二被告らは、原告小林襄治に対し、連帯して、金二五五〇万円及びこれに対する昭和六一年六月二一日から右支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
一本件は、訴外亡小林正彦(以下「亡正彦」という。)が被告医療法人社団陽和会(以下「被告陽和会」という。)の開設する西窪病院に入院中に心筋梗塞で死亡したことについて、亡正彦の子である原告ら(当初は原告らのほかに亡正彦の妻である小林夫美子も原告となっていたが、同人が本件訴訟係属中に死亡したため、原告らが訴訟を承継した。)が、担当医であった被告中島春雄(以下「被告中島」という。)に対しては不法行為を原因として、被告陽和会に対しては診療契約上の債務不履行又は不法行為(被告中島をはじめとする医師・看護婦らを使用する者としての使用者責任)を原因として、損害賠償を請求したものであり、原告らが主張する損害の内訳は次のとおりである。
1 亡正彦の固有の慰謝料
二〇〇〇万円(原告ら各一〇〇〇万円)
2 遺族の慰謝料
(一) 妻の小林夫美子分
一〇〇〇万円(原告ら各五〇〇万円)
(二) 原告ら分各八〇〇万円
3 原告小林克彦が負担した葬儀費用
三〇六万〇五〇〇円
4 本件弁護士費用
五〇〇万円(原告ら各二五〇万円)
二本件の基本的な事実関係は次のとおりであり、これらの事実については当事者間に争いがない。
1 亡正彦(大正六年一一月一七日生)は、昭和四八年二月頃、急性前壁中隔心筋梗塞を起こし(一回目)、被告中島の診察を受けたが、それ以後、定期的に被告中島の診察を受けるようになり、被告中島が被告陽和会の開設する西窪病院に転勤してからも、月一回位の割合で被告中島の診察を受けていた。
2 亡正彦は、昭和六一年六月一七日、前日、前々日の胸部圧迫感のため、西窪病院に外来で受診し、被告中島の診察を受けたが、心電図測定の結果、急性下壁心筋梗塞(二回目)と診断され、同病院に入院した。
入院後は、直ちに心電図モニターによる監視が開始されたが、同月二〇日午後一二時頃、右モニターによる監視は中止された。
3(一) 六月二一日午前二時二五分頃、亡正彦は、胸部の不快感を訴え、ナースコールにより駆けつけた当直看護婦によりニトログリセリンが舌下投与された。その後、午前四時三〇分に再度のナースコールがあり、亡正彦が胸痛を訴えたので、当直看護婦は、被告中島の指示票による指示に従いアトモルヒネを注射した。また、午前五時五五分、三回目の訴えがあり、当直看護婦は再びアトモルヒネを注射した。
(二) 午前七時、亡正彦の胸部の痛みがあまり変わらないとの訴えにより、当直看護婦が病院長である高野睦医師(以下「高野院長」という。)に連絡を取り、高野院長の指示により採血と心電図の準備がされ、午前八時一〇分に採血が行われ、同八時五〇分には心電図検査が実施された。
(三) その後、亡正彦に対し、酸素吸入、血管確保のための点滴などが行われたが、午後三時頃には心不全状態が進んでおり、強心剤等が投与されたものの、午後六時一七分、亡正彦は死亡した。
4 亡正彦の死亡により、妻である小林夫美子が二分の一、子である原告らが各四分の一ずつの割合でその権利義務を相続したが、その後、小林夫美子は平成元年二月九日死亡し、原告らが各二分の一ずつその権利義務を相続した。
三争点
1 亡正彦の本件死亡につき、被告らに、原告らが主張する次のような過失(注意義務違反)があったか否か。
(一) 転医勧告義務違反
被告中島は、亡正彦の入院時に、亡正彦が三回目の心筋梗塞を発症する可能性が高く、その場合は死亡する危険の大きいことを認識していたのであるから、被告らとしては、亡正彦に対し、CCU(集中治療室)の施設を有する医療機関への転医を促すべき義務があったのに、これを怠り、CCUの施設のない被告陽和会の病院に入院させた。
(二) 再発予防の懈怠
被告らは、心筋梗塞の再発の可能性の高いことを認識していたのであるから、入院後は、亡正彦に対し三回目の心筋梗塞の発症を回避するための積極的な予防措置(抗凝固療法、抗血小板療法、PTCA及びCABG等)をとるべき義務があるのに、これを怠った。
(三) 心電図モニターの中止
被告らとしては、亡正彦に三回目の心筋梗塞が発症した場合に直ちにこれを発見して治療を施しうるようにするため、心電図モニターによる監視を継続すべき義務があったのに、これを怠り、六月二〇日午後〇時頃になって何の理由もないのに心電図モニターを中止し、三回目の心筋梗塞の発症の診断を遅らせることとなった。
(四) 診断・治療行為の懈怠
被告らとしては、亡正彦が高齢であるため心筋梗塞が発症しても無痛である場合があることなどからすれば、亡正彦については最大限の注意を払い、胸部不快感ないし胸痛を訴えた場合には、心筋梗塞の発症を疑って、直ちに医師が心電図モニターや血液検査等によってその診断をするとともに、ウロキナーゼ等の血栓溶解剤の投与やCCUの設備のある病院への転医等のしかるべき治療行為にあたるべき義務があったのに、被告中島が当直看護婦に対して不十分な指示をしていたこともあって、六月二一日午前二時二五分のナースコール以降、狭心症の治療薬であるニトログリセリンの投与と鎮痛剤であるアトモルヒネの投与がされただけで、当直医への連絡が行われなかったなど早期かつ適切な時期に心筋梗塞の確定診断のための措置がとられず、結局、亡正彦に対しては、心筋梗塞に対する積極的な治療行為が何もされなかった。
2 被告陽和会に次のような診療契約上の不誠実な行為があったか否か。
(一) 被告陽和会としては、診療契約の内容として、医療水準のいかんにかかわらず、緻密で真摯かつ誠実な医療を尽くすべき義務を負うものであるところ、本件においては、被告中島の当直看護婦に対する指示が不十分であったこと、当直看護婦が右指示に従っただけで当直医に連絡しなかったこと、更には高野院長が早期確定診断のための検査の督励指示を懈怠したことなどがあいまって、結局、亡正彦が三回目の心筋梗塞を再発し、死に至るまで、鎮痛剤であるアトモルヒネを二度注射した以外、病名確定診断のための積極的な努力及びそれを前提とした心筋梗塞に向けられた積極的な治療行為が全くされないまま、死亡の結果となったものである。
(二) 被告陽和会は、六月二一日の深夜から亡正彦が死亡した同日午後六時一七分に至るまで、家族を納得させるような説明を全くしていないし、主治医の被告中島は、同日午後六時に帰宅してしまって以来、遺族の前に姿を現していないのであって、これらもまた不誠実な対応といわなければならない。
(三) 右一連の被告陽和会の行為は、著しく粗雑、杜撰で不誠実な医療というべきである。
第三争点に対する判断
一<書証番号略>、証人松田良子の証言及び被告中島本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、亡正彦が入院してから死亡するまでの経過に関して、次の各事実が認められる。
1 昭和六一年六月一七日に亡正彦が西窪病院を外来で受診した際の訴えによると、同月一五日に胸部圧迫感があり、更に、同月一六日午前五時一〇分ころ、前胸部圧迫感発作があったところ、いずれもニトロールの服用でおさまったが、口に苦さがあり食欲がないとのことであった。
心電図を取った結果、「急性下壁心筋梗塞」の所見を示していたので、被告中島は、亡正彦を直ちに入院させ、心臓の下壁に心筋梗塞が起こったこと、不整脈・ショック・心不全状態がなく胸痛などの自覚症状のないことから、このままゆけば落ち着くであろうことを亡正彦に伝えた。被告中島は、亡正彦が長期間に渡り高血圧症や糖尿病を持病としていること、以前にも心筋梗塞を起こしており、今回が二回目であったこと、軽度の心不全状態が潜在していることなどから、一般的には三回目の発作が起こる可能性が高く、その場合には、心不全状態も悪化し、急死に至るおそれが大きいと推測してはいたが、しかし、必ず発作が起こるとまで確信していたわけではないし、また、起こるとしても具体的に何時頃次の発作が起こるかについて予見していたわけではなかった。
2 入院後は、血栓溶解作用を有するウロキナーゼが定期的に投与され、亡正彦の状態は落ち着き、胸痛発作・不整脈ともになく、血圧も正常に維持され、食欲も十分にあった。このような状態が、六月二〇日夜まで続いた。
3 六月二一日午前二時二五分頃の第一回目のナースコールの際は、左胸部が重いような感じがするとの訴えがあり、ニトログリセリン一錠の舌下投与により、亡正彦の右胸部不快感は三分程度で治まった。
午前四時三〇分のナースコールの際は、胸のもやもやが少し残っており、胸痛があるとの訴えがあり、かねてより、被告中島から、指示票により当直看護婦に対し、「胸痛を訴えたときはニトログリセリンを舌下に投与し、効果がないときはモルヒネを使用する、不整脈、血庄異常、ショック状態などの異常が生じた場合には当直医に連絡する」との指示がされていたことから、当直看護婦は、右指示に従い、アトモルヒネ一ミリリットルの注射を行った。この時点では不整脈は認められなかった。
午前五時五五分には、注射後も痛みがあまり変わらないとの訴えにより、再度、アトモルヒネが二分の一ミリリットル注射された。この時も、血圧は正常であり、不整脈は認められなかった。
午前七時頃、胸痛が変わらないことから、看護婦が高野院長に連絡をとったが、この時点でも、不整脈は認められなかった。
午前八時頃には、亡正彦の胸痛は消失し、顔色不良であったが浅眠中であり、高野院長の指示により発作確認のため採血検査が行われ、午前八時三〇分頃には、亡正彦は、冷汗をかき心不全徴候が見られ、看護婦の問いかけに「何ともありません」と答えていたが、食欲もなく一般状態不良で、酸素吸入が開始され、また、前日中止された心電図モニターも再開された。
午前九時頃は、全身冷汗をかき、チアノーゼも見られるなど、一般状態が悪化し始めており、心不全状態が進行しつつあった。もっとも、亡正彦の意識ははっきりしており、名前を呼ばれるときちんと返事もしていた。この頃、血管確保の目的で点滴が実施された。
午前九時三〇分頃には、胸部の重苦しい感じもやや落ち着き、呼吸も規則的で、閉眠中であったが、不整脈が顕著であった。
その後も食欲はなく、昼食は未摂取であり、朝から排尿がなかったため、午後には利尿剤の投与が行われた。
4 同日午後三時、被告中島が亡正彦を診察した時点では、心不全状態が表面に強く表れており、その原因が、肺梗塞によるものか、心筋梗塞によるものかは確定的には診断できなかった。
被告中島は、亡正彦が意識もはっきりしていたことから、右診察の際に、今回、心臓の前壁に心筋梗塞が起こったらしいこと、過去の心筋梗塞で心筋のかなりの部分が駄目になっており、心不全状態が進行していること、腎障害も合併し利尿がないことなどを話した。
5 同日午後六時前、亡正彦の状態は依然悪化したままであったが、小康状態であったので、この日が土曜日であること、また、当日の当直医が心臓外科を専門とする医師であることなどから、被告中島は、当直医に後を委ねて帰宅した。しかし、午後六時〇五分には、心電図の波形が急変し、亡正彦は、顔面蒼白になり、意識を失った。そこで看護婦は直ちに心臓マッサージを施行し、かけつけた当直医も心臓マッサージ及び心臓内ボスミン注射を行ったが、六時一七分には完全に心停止し、呼吸停止・瞳孔散大・光反射もなかったので、当直医は死亡を宣告した。
6 その後、六月二一日の血液検査によるミオグロビン値の測定結果が明らかになったことにより、亡正彦の死因が心筋梗塞であったことが最終的に確認され、死亡診断書(<書証番号略>)にもその旨記載された。
しかし、被告らが、原告ら及び小林夫美子に対して、亡正彦の経過や死因等について説明したことは一度もなく、また原告ら及び小林夫美子から、被告中島に対して、死因等について問い合わせをしたことも一度もない。
二以上の事実経過を前提として、本件各争点について判断する。
1 争点1の(一)について
被告中島本人尋問の結果及び鑑定の結果並びに弁論の全趣旨によれば、心筋梗塞の予防措置ないし治療措置のうち、PTCA(経皮的冠動脈形成術)、CABG(冠状動脈バイパス手術)及びIABP(バルーンパンピング法)は、CCUを備えている医療機関でしか行えないこと、一般的には、一度心筋梗塞を起こすと再発することが多く、亡正彦のように二回起こしている場合にはなおさらであること、しかし、心筋梗塞の発作が二回起こったからといって必ず三回目が起こるという性質のものではなく、心筋梗塞の再発が近い将来に生ずるかどうかというその再発の時期を具体的に予見することは不可能であること、このことは高度なCCUの施設を備えている場合であっても何ら変わらないことが認められ、また、前記認定のとおり、被告中島としても、入院時の診断の際、亡正彦に三回目の発作が起きた場合には、心不全状態が悪化して急死に至るおそれが大きいことを推測していたとはいうものの、具体的にいつ頃次の発作が起こるのかを予見していたわけではなく、しかも、入院の時点では、亡正彦には不整脈や心不全状態などがなかったことから、このままいけば症状は落ち着くものと考えていたのであって、現に入院後二〇日夜までは落ち着いた状態が続いていたのである。
右のように、CCUを備えた医療機関でも三回目の心筋梗塞の発症を具体的に予見することは不可能であり、また、入院時、亡正彦には不整脈や心不全状態などがなかったなどの事情の下では、被告中島ないし被告陽和会において、亡正彦に対しCCUの施設を有する医療機関への転医勧告を積極的に行うべき理由はなかったというべきであり、被告らに右転医勧告の義務があることを前提として、その過失をいう原告らの主張は失当である。
2 争点1の(二)について
前記認定のとおり、亡正彦の入院後は、冠動脈の血栓溶解作用を有するウロキナーゼの注射がされていたほか、他に心筋梗塞の発症を予防するための特別の処置はなされなかった。他方で、鑑定の結果によれば、心筋梗塞の発症を正確に予見することはできないために、当時においては、一般的にいって、その発症を予防するための積極的な医療処置はほとんどとられなかったといえること、当時の医療水準のもとで採りうる最先端の予防処置としては、冠動脈造影を行った上で、狭窄の所見が発見された場合に、バルーン式カテーテルで当該部位を拡張させる方法(PTCA)又は冠動脈バイパス手術を行うことが考えられるが、本件では、亡正彦が第二回目の発症直後の急性期であり、しかも心筋梗塞の範囲が拡大した状態で心臓のポンプ機能が既にかなり低下していたと推測されるため、右処置を行うこと自体極めて高い危険性を有していたことがそれぞれ認められる。
右事情からすると、当時は入院直前の二回目の発作から間がなく、被告らとしては、予防措置というよりも、右二回目の発作の治療を中心とする処置を行っていた時期であり、また、最先端といわれる右予防措置についても、入院後亡正彦の状態が一時改善されつつあった状況の下で、被告らにおいて右のような危険を侵してまでそのような積極的な措置をとるべき義務があったとは解することができない。したがって、この点に関する被告らの過失をいう原告らの主張は失当である。
3争点1の(三)について
前示のとおり、亡正彦に対する心電図モニターが六月二〇日午後〇時頃に中止されたことは争いがないが、<書証番号略>、証人松田良子の証言、被告中島本人尋問の結果及び鑑定の結果並びに弁論の全趣旨によれば、心電図モニターは、不整脈の発見を主たる目的とするものであり、心筋梗塞の発作が発生しても何の徴候も現れない可能性も高く、心筋梗塞の発症そのものを確定診断する方法とはいえないこと、また、一誘導だけのモニターであるため、心筋梗塞の発症部位の診断には効果がないこと、不整脈の発見のためには心電図モニターが唯一の手段ではなく、血圧測定や脈拍を見る際にも不整脈の発見は可能であることが認められる。右事実に加え、前記認定のように、入院後、亡正彦の状態が一応落ち着き、六月二〇日時点では、血圧などの一般状態も安定していたことを考え合わせると、六月二〇日の正午時点で心電図モニターをなお継続すべき積極的理由は見当たらず、これを中止したことに原告ら主張のような過失があったとはいえない。
なお、前記認定の事実によれば、六月二一日の午前二時以降も、当直看護婦がナースコールで駆けつけた際に、不整脈の有無について確認し、少なくとも午前七時の時点までは不整脈は全く認められなかったし、一般状態が不良となった午前八時三〇分には、心電図モニターが開始され、その後、午前九時三〇分頃になって不整脈の発生が確認されているのであって、本件において、特に不整脈の発見が遅延したことを窺わせる事情は見当たらない。そうすると、心電図モニターを中止したことによって、不整脈の発見が遅れ、ひいては心筋梗塞の発症の診断が遅延したということもいえない。
4 争点1の(四)について
前記のとおり、被告中島は、担当医として当直看護婦に対し、亡正彦が胸痛を訴えたときはニトログリセリンを舌下投与し、効果がないときはモルヒネを使用すること、不整脈、血圧異常、ショック状態などの異常が生じた場合には当直医に連絡することを指示していたものであるが、亡正彦の入院後の症状が安定していたこと等からすれば、被告中島の右指示に不合理な点があったとはいえないし、また、心筋梗塞の胸痛にはニトログリセリンは効果がないと一般に考えられていること(被告中島本人尋問の結果、鑑定の結果)、二一日の午前二時二五分の胸部不快感はニトログリセリンの投与により数分後に治まったこと、その後二回のナースコールの際も、不整脈などの心筋梗塞に伴う合併症の徴候が一切認められなかったことなどからすれば、当直看護婦として、このような事情のもとで心筋梗塞を疑い必ず当直医に連絡すべきであったとまでいうことはできない。
また、前記認定の事実及び鑑定の結果によれば、亡正彦は六月二一日の午前四時三〇分頃に心筋梗塞の三回目の発作を起こしたものと推測されるが、被告らは、当時の病状について、「最も可能性があるのは肺梗塞、あるいは心内膜下梗塞」との判断をしたに止まり、亡正彦の死亡前には、心筋梗塞であるとの確定診断はされなかった。しかしながら、前記認定のとおり、亡正彦は、アトモルヒネによっても解消されない胸のもやもやを訴えていたが、このような症状は、肺うっ血に基づいて生じた心不全による可能性もあり、心筋梗塞によるものかどうか即断はできないこと(被告中島本人尋問の結果)、また、被告中島が診察した際にも、亡正彦には、心不全の徴候が強くでていたために、肺梗塞との区別が容易ではなかったことなどの事実と鑑定の結果を考え合わせると、被告らが、亡正彦は肺梗塞又は心内膜下梗塞であると診断したことは、当時の医療水準の下では必要十分なものであったと解される。
右のとおり、被告らにおいて、亡正彦の死亡前に心筋梗塞であるとの確定診断ができなかったことは、やむを得なかったものというべきであるが、仮に、当時心筋梗塞であるとの診断ができたとしても、被告中島本人尋問の結果によれば、心不全状態が進行しつつある段階で血栓溶解剤などによる治療を行うことは、心不全状態の緩和に全く効果がない上、亡正彦の肺に負担をかけて苦痛を大きくする危険性があったことが認められることからすると、本件における心筋梗塞の診断の遅れは、その治療の面において特段の影響を与えることにはならなかったというべきである。そして、被告中島本人尋問の結果及び鑑定の結果によれば、当時、被告らが亡正彦に対して行った治療処置は、亡正彦に顕著にみられていた心不全状態を緩和するという積極的な意義を有していたものであり、当時の医療水準の下では、概ね理解できるものであったと認められるのである。
以上のとおりであって、被告らの診断及び治療に原告ら主張の過失があったということはできない。
5 争点2について
およそ結果の発生が回避できない場合であっても、診療契約を締結した医療機関としては、患者のために誠実に最善の治療にあたるよう努めるべき義務を負うものであり、右義務に反して著しく粗雑、杜撰で不誠実な医療をしたときは、これによって患者に与えた精神的苦痛を慰謝すべき責任があるというべきである。
ところで、原告らは、被告陽和会の粗雑、杜撰な行為により亡正彦の心筋梗塞の早期確定診断が遅れ、積極的な治療の機会が奪われたと主張するものであるが、本件では、既に検討したとおり、亡正彦に対する診断及び治療に何ら不適切な点があったとはいえないから原告らの右主張は失当である。
なお、亡正彦の死因等について、原告ら家族に対する説明がされていないこと、被告中島も原告ら遺族の前に姿を現していないことは事実であるが、他方、原告ら家族から被告側に対して説明を要求したこともないのであるから、被告らが原告らに積極的に説明を行わなかったからといってその対応が不誠実なものであるとはいえない。また、被告中島が、後を当直医に委ねて、午後六時ころに帰宅したといっても、被告中島は、被告陽和会の被用者として亡正彦の担当をしていたにすぎず、亡正彦との診療契約の当事者ではなかった以上、最後まで直接に診察する義務を有していたともいえないし、当日の当直医が心臓外科を専門とする医師であった以上、被告陽和会の対応としては、何ら不誠実な行為があったとはいえないことになる。
右のとおり、被告陽和会が、粗雑かつ杜撰で不誠実な医療行為を行ったことを窺わせる事情は何ら見当たらず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。
第四結論
以上のとおり、被告らに不法行為責任ないし債務不履行責任を認めることはできないので、原告らの本件請求は理由がない。
(裁判長裁判官佐藤久夫 裁判官山口博 裁判官花村良一)